2017年12月20日水曜日

     立憲民主党衆議院議員
    海江田万里さんにインタビュー

 1211日、東京1区で当選を果たした海江田万里さんに議員会館で、今井・松元がインタビューしました。海江田さんは、選挙最終盤「私は必ず勝利します。勝利したなら野党共闘と市民の勝利です」と語っています。 
市民と野党の共闘についてどう考えていますか
 憲法違反の安全保障関連法を廃止しなければならないことがあって、旧民進党からの一つの流れだ。去年の参議院選挙でも1人区、2人区で野党共闘が出来た。その流れをとめてしまったのが、民進党の代表に前原誠司さんが選ばれたことだと思う。
私はその共闘の流れを受け継いでいたつもりだ。選挙直前でバタバタということではなく、政党と市民団体の有志によって、政策のすり合わせや政治情勢の分析を月1回のペースで1年以上やっていた。1区内の市民の集会にも、戦争法反対の立場から出来るだけ顔を出していた。 
選挙戦の中で感じたことは
他の野党の皆さん方や市民連合の人達が本当によくやってくれた。同時に立憲民主党に風が吹いたことは選挙の中で肌で感じた。枝野代表が、初盤、中盤、終盤と31区に入ったが、回を追う毎に聴衆の数が増え、熱気も盛り上がってきた。政権交代の2009年の時も、鳩山さんが1区に入ってくれたが、その時をはるかに上回る聴衆の数と熱気だった。 
市民の選挙運動をどう感じましたか
一つは市民の中でも大学の先生や弁護士など社会的影響のある方が支えてくれたこと、二つは草の根の市民がボランティアを担い支えてくれたことだ。もちろん先生方もボランティアも担ってくれた。
いつもは応援演説は政治家だが、市民の方の演説は、むしろ聴衆に聞いてもらえたのではないか。知的刺激も受けた。 
今後、どんなところを力点に活動されますか
 市民連合の方が間に入ってくれて政策協定を結んだ。共謀罪廃止法案を国会終盤で提出できた。残念ながら議論されることはなかったが、一つ一つ国会の中で約束したことを守っていくことだ。一番大きなことは改憲の発議を阻止していくことだ。今回の総選挙で自民党の小選挙区における投票は、絶対得票率では27%位だ。それで小選挙区の7割の議席を占めている。国会の構成が民意を必ずしも反映していない。国会で2/3いるから発議だ国民投票だと言うのは違うのではないか。
働き方改革やアベノミクスをどう考えますか
 働き方改革の中には、過労死の根絶やサービス残業やめようとかの側面があるが、通常国会に出てくるホワイトカラーエグゼンプション、残業代ゼロ法案と言っているが、過労死根絶等に逆行するものだ。しっかり反対していく。
 アベノミクスで、曲がりなりにも効果を生んできたのは金融の超緩和だが限界に来ている。それに代わって分厚い中間層を復活させることで対峙していこうと思っている。 
日本の政治変革を展望したとき何が求められますか
 中長期の展望を持たなければならない。政権交代というと、93年の細川内閣でもそうだが、まず参議院選挙が非常に大事だ。参議院選挙で王手となって、次の衆議院選挙で政権交代していく。2009年の政権交代も、2007年の参議院選挙で「失われた年金」で民主党が躍進したことがつながっている。私たちが政権を失った2012年というのも、2010年の参議院選挙で自民党を勝たせてしまったところに原因があると思っている。まず、2019年の参議院選挙で野党共闘の実をあげていくことが大事になっていると思う。 
改憲反対の市民の運動について
 自民党に対しても市民のうねりは大きなプレッシャーになる。発議して国民投票で負けたら、その瞬間に内閣総辞職となる。国民の声を草の根から掘り起こしていくことは、自民党に対する圧力をかけることになる。是非、そこはお願いしたい。私たちもしっかり声を聞いて国会で活動していきますから。
 憲法の問題は、5149でやるのは間違い。7割8割の人が「そうだね」と言ったときに憲法を変えるべきだ。公明党の山口さんが78割と言ったのはその通りだと思う。 
読者へのメッセージを
 あなたの周りで、今の憲法を守らなければだめだということを、自分の奥さん、子どもたち、隣近所、町会の人、サークルの人々に、是非広げてほしい。

2017年12月17日日曜日

革新懇全国交流会in愛知での特別報告 11月18日
沖縄1区 オール沖縄の素晴らしい共闘の勝利
日本共産党沖縄県議団団長  渡久地 修 

 1118日、渡久地修さんの特別報告の総選挙の部分の要旨を紹介します。

 総選挙、オール沖縄は崩れた、オール沖縄はもう共産党だ、14区を自民党本部が重点区にし共産党から議席を奪い返すと、官邸、自民党本部あげて襲いかかってきました。自公陣営の選対本部長は私に「あなたたち頑張りなさいよ。赤嶺さんを倒す万全の対策をとったからな」と声をかけてくるほどでした。
4区では惜敗しましたが、得票は伸ばしました。1区、2区、3区でオール沖縄の候補が票を伸ばして勝利。特に、県都那覇市をかかえ、翁長知事、城間那覇市長の地元の1区で赤嶺政賢候補が勝利し、来年2月の名護市長選挙、11月の那覇市長選挙、県知事選挙の展望を大きく切り開くものとなりました。
 この勝利の教訓を4つの点から述べたいと思います。
 一つは、私たちは、この選挙は、基地押しつけの安部政権対沖縄県民の正面からの闘いと位置付けました。赤嶺さんの議席は、唯一の小選挙区での共産党の議席であり、市民と野党の共闘の発展をめざすかけがえのない議席である、同時にオール沖縄の県民の議席であり、この議席を守ることは私たちの県民に対する責務であること。さらに、辺野古新基地は絶対造らせない、普天間基地を撤去せよとの県民の民意を示す議席であり、守り抜くことはオール沖縄の闘いに対する私たちの責務であるということを最後までこれを貫き通しました。
 二つは、選挙戦でも、壮大な闘いにふさわしいオール沖縄の体制を作ろうと、共同代表制をとろうという結論に達しました。共同代表に就任された方々は、どなたも赤嶺さんの議席は絶対必要と快く受諾。オール沖縄会議共同代表の高里鈴代さん、沖縄社会大衆党委員長代行の比嘉京子県議、翁長那覇市長時代の公室長・水道局長をつとめたエッセイストの宮里千里さん、共産党元衆議院議員古堅実吉さん、共産党からは私が代表して共同代表につきました。共同代表制は、マスコミも含め大きな驚きをもって迎えられました。オール沖縄の体制を築いたことで安部政権対沖縄県民の闘いという構図が鮮明になり、勇気と勝利への大きな展望を与えることになりました。
 三つは、オール沖縄の選挙運動を大胆に発展させました。事務所開きから出発式、最後の総決起打ちあげ集会なども、社民党、社大党をはじめ、オール沖縄の勢力が勢ぞろいするように力を入れました。連合をはじめあらゆる組合、企業、医療、福祉団体、民主団体などを訪問し、協力を訴えました。宣伝カーには翁長知事、城間那覇市長、稲嶺名護市長、伊波・糸数参議院議員、呉屋金秀グループ会長、社民党、社大党の県議、市議、市民団体代表、組合代表、民主団体代表など同乗してもらうよう特別の努力をしました。知事は最後の3日間、赤嶺さんと一緒の行動だと時間もったいなからと1人で宣伝カーに乗って、走りながらマイクを握り、あるいは停車して1分から3分間の演説、市内の激戦地を回りました。最終日は出張で参加できないとのことでしたが赤嶺さんが大変だと聞いて昼食時間を割いて、12時から1時まで市内の激戦地を回っていただきました。城間那覇市長も連日、赤嶺政賢さんと一緒に激戦区を回りました。保守中道系の市町村議員の団体「にぬふぁ星」代表金城徹元名護市議も連日駆けつけてきました。
 経済界大手の金秀グループは4候補を招いて500人の幹部職員を集めて決起集会を開催。。保守系那覇市議の翁長雄治市議は、出発式や街頭演説で、「赤嶺さんの議席は共産党だけの議席ではありません。私たち保守の願いを背負った議席、沖縄県民の願いを背負った議席です」と訴え、大きな感動を与えました。立憲民主党の枝野代表や、連合沖縄の会長も街頭演説で、1区から4区までオール沖縄4人の全員勝利をと訴え、1区は赤嶺、比例は立憲民主党と流し、社民党も「1区は赤嶺、比例は社民党」とのチラシも作成し、宣伝カーでも流してくれました。

 四つは、オール沖縄の県民の総決起で勝ち取ったということです。この3年間で、オール沖縄は県民の間で深く根を張ってきました。島ぐるみ会議は沖縄本島のすべての市町村に結成され、連日の辺野古での座り込み抗議行動の先頭に立っています。20才の女性の殺人事件、オスプレイの墜落などへの怒り、安倍政権への怒りが県民の間に広がっています。沖縄県民の底力を発揮すれば必ず勝てる、ここに確信を持とうと宣伝カーからも、電話でも、県民の総決起を訴えました。辺野古で抗議行動を展開している県民が続々と詰めかけ、困難な地域のチラシ配布など様々な自主的な運動が展開されました。選挙後、各組合で、自分たちはこんな運動を展開したと大歓迎をしてくれて、わがことのように喜んでいる、これが大変印象的でした。オール沖縄に結集する政党、団体の力を遺憾なく発揮してもらい、県民の間に深く根を張った県民の底ちからを発揮した勝利だと言えます。